プロポーズと道徳ブログです
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私もそんなブログやサイトを読んで、今一度道徳的にプロポーズについて考えてみましょうか。
現実問題、長い間プロポーズなんていう言葉、口にも耳にもした事がありませんでした。
Societyという英語を交際という日本語に約して、積極的に男女の恋愛を応援したとかって、以前どこかで聞いたような気がします。
そう言えば、うちのおじいちゃんとおばあちゃんも、お互い一度も会った事なかったのに婚約したって言っていました。
まあ確かに、親としては悩むし、困りますよね、子供にきちんとしたプロポーズを要求するのって。プロポーズの道徳について、皆さんは何かご意見をお持ちですか。
何しろ恋愛は常に人の自由、それに異性に興味や好意を持つという志はいつも大切にした方がいいと思うんですよね。
昨夜ね、久しぶりに会った学生時代の友達と居酒屋に行った時に、このプロポーズについての話題が出たんですよ。
プロポーズ大好き、大いに楽しむべし、これが私の意見でしょうか。
プロポーズという言葉の生みの親は壱万円札でおなじみの福沢諭吉で、明治生まれの四文字熟語なんですよね。
しかし、この私独自の理論は道徳的には少々問題ありかも知れないし、友達の子供に安易に伝える訳には行きません。
昔の日本はお見合い結婚が主流だったから、プロポーズなんてする必要がなかったそうです。
年頃の双子の娘のオヤジである彼は、最近のプロポーズについて彼なりに悩んでいるようです。
それに、変にプロポーズに恐怖心を持たすのもNGだと思います。
取り合えず、親がちゃんとしたプロポーズの基準みたいなのを支持する事が大事じゃないかしら。
昔のように、プロポーズも楽しめないまま結婚するなんて、絶対嫌ですもんね。
幸い子供のために悩んだり心配したりする必要はありませんし、もうこの年になれば、酸いも甘いも知っているつもり。
友達には、同世代の親御さんのブログやサイトを読んでみたらどうかとアドバイスしておきました。
もし、我が子に教えるとしたら、これだけは絶対伝えたいっていうようなルールとか。
プロポーズという言葉とそれを翻訳してくれた福沢諭吉さんには感謝です。
だから、頭ごなしに目の前のプロポーズを否定するのは絶対よくないのではないでしょうか。
そう思うと、プロポーズという言葉の誕生が今の自由恋愛を産み出してくれたようなものですよねぇ。
基本的にはお互いとその周囲の人を傷つけない事とそのプロポーズをそれなりに楽しむ事がポイントなのではないかと思いますね。
普通は大体母親の仕事になるみたいですが、実際には父親の方がその何倍も心配しているのだそうですよ。
そう考えると、プロポーズを道徳的に考えるってすごく難しいですよね。
常時必ずと言っていいほど、プロポーズに関する話題や情報は掲載されているからです。
私は同級生でありながら今田独身、自分自身が勝手気ままにプロポーズを楽しんでいる方です。